2006年8月5日 第102回 同窓会総会誌より(抜粋)

「何もない時代だったけど、楽しかったのよ」華やいだ笑顔がこぼれる。

 大川シヨ子さん(旧姓・田尻さん)、庁立高女42回生。昭和16年に入学し、昭和20年・終戦を迎える年に卒業した。現在は、関販テクノ株式会社代表取締役会長として、多忙な日々をお過ごしになっている。

 大川さんが入学した昭和16年頃は、戦況が厳しさを増して物不足が加速。「贅沢は敵だ」「一億一心」が声高に叫ばれ、その年の12月には日本軍がハワイの真珠湾を攻撃して太平洋戦争が始まった。

「普通に授業があったのは1年目だけ。2年目からは朝から夕方まで勤労奉仕に出かけていました。」

 さぞかしつらい経験だったのではと想像するが、「そうでもないの。農試公園の草取りや丘珠飛行場の土運び、農家の大根抜きなどをしながらも、笑い転げていたことしか覚えてないわねぇ」と、なつかしむ。

 登校日は、月に2日間ほどだった。白くて丸いへちま襟がついた標準服の下はモンペ。庁立高女のシンボルであったスカートの裾の白い山型ラインは戦時下に廃止された。

 戦争によってスカートの山型ラインは奪われてしまったが、庁立高女としての誇りは決して消えなかったという。

「毎日、勤労奉仕で泥まみれになっていたけれど、標準服が汚れているのは恥ずかしいこと。次の日までには、皆さんきれいにして着ていたわね」

 振り返ると確かに物質的には貧しい時代だった。でも、いい経験をしました、と大川さんは語る。何よりもあの時代を一緒に過ごした仲間は、いまでも『ショっちゃん』とお互い当時のまま呼び合っている。

「戦時中を生き抜いたという経験や知識があるから、その後は何があっても耐えられるという自信みたいなものがありました。私にとっては、それなりにいい時代だったわ。人生にムダなことはないものです」

「でもね」と穏やかながらもきっぱりとした口調で、「戦争は絶対にいけないこと、犯罪です」と言い切る。当時を知る人ならではの思いが深くこめられている。